ライブスペースのある居酒屋 | 音と料理の店 ら | 大阪東心斎橋

音と料理の店 ら  電話 : 090-3487-1575
〒542-0083 大阪市東心斎橋2-3-13 スターライトビル4階

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糖尿病でお気楽に2

とまあ、6年前のお気楽日記の続きで御座います

病気?ビョーキ?20061129() 911
このまま順調に行けば十二月の初旬には退院である。
待ってくれる人、待ち構えて居やがる奴ら
ずっと入って居れば良いものをと悪態をつく野郎
ふうんと所在なげに答える御人(本心は何なんだ!?)
色々ではあるが、私としては矢張り随分と嬉しい。
そんな中、退院後の療養についてのレクチャーを受けた。
しっかりとメモを取り、こちらからも積極的に質問をして内容のある良い時間であった。

さて、今夜は半月である。半月と言うのは小潮であって
余り潮が動かず魚の活性も落ちて釣りには不向きに思えるが
どっこい世の中は上手く出来ていてそんな時こそ
釣れる釣場とポイントと釣り方があるのだ。
ここ最近の水温の下がり具合と状況からから
「あそこの釣場ならこう言う攻め方が出来るな」
「こんなアプローチをすればあそこでもチャンスはあるかもしれない」と
今日のレクチャーを思い出しつつ想う私なのである。

余後の療養に於て大切なのは矢張り食生活で、白身魚は当然ながら肉よりは良いと

白身魚なら比較的しっかりと食べられると、鮮度の良いものを選ぶのがコツだと

先生がおっしゃるのである。

白身魚と言えば当然誰が考えてもチヌである事は他人の言を待つまでもない。

先生が食品の例をチヌでは無く鯵にしたのは

チヌでは当たり前過ぎて参考にならないから「こんな魚もありますよ〜」

と言う真意がある事くらいは私でも判る簡単な事なのである。

加えて、新鮮と言えば釣りたてを意味する事に他ならないと考える

これを読んで下さっている皆様の意見に私も異を唱えはしない。

良い空気と気分転換、白身魚の代表チヌで釣りたて

そして適度な運動を退院後は習慣付けて下さいと言われた限りは仕方がない。

病気と向き合い健康な体を手に入れる為に頑張ってチヌを釣りに行かねばならないのである。

私は病気を克服する為に一生懸命にチヌを釣りに行くのだあぁっ。
今夜は半月である。あそこの釣場なら病気は克服してもビョーキは治らないってか?

スルコト20061130() 1238

入院生活も日を追うにつれ変化の無い毎日にやる事が無くなってこない
最初こそはゆっくりと本でも読めるぞと

未だ読んでなかった本も数冊持ち込んでいたのだが

空いている時間に仕事の経費計算や作業の控えを取り

入院のメモにと各検査のデーター・行動・食事のレシピと写真を撮って

ノートを付け、所属する釣りクラブの大会用のイラストを描き始め

病気の為の本とにらめっこしつつノートを取り

嗚呼やっと時間が空いたとブログなんぞを携帯で書いたり

後は午前に一時間余のウォーキングと午後に軽いジョギングとストレッチ。

何だか妙に忙しいのである。

と、昨日から私の入院しているフロアー担当の栄養士さんに

参考になるから聞かせて欲しいと頼まれた料理のメモを書き始め

お見舞いに来てくれた人との時間は有難く大切にしたいし

用事を思い出しては電話をしに外に出る。
追い討ちをかけるように昨日、見舞いに来てくれた友人は

「暇だろうから」と本を買って来てくれた。「忙しいのにもう」と

悪態をつきながら有難く頂いて就寝前にパラリと見れば

面白い、う〜ん困るぢゃぁないか。

本日は六回の採血と神経生理の検査がある。
何か予定を削らなければ時間が足りない。
ん、見舞いも二組ほど来るって言ってなかったっけ?
うわあ大変だあ

ピコピコぴーん20061201() 900

何を隠そう、隠す必要など無いので申し上げれば【神経生理】の測定器なのである。

神経生理の測定器とは一体ナニをするモノかと言うと

神経の生理的な反応を測定する機械なのだ。

と言っても解らないには違いないはずなので更に説明をすると

手足がシビレたりだとか動かないなんて時に

それぞれの先端までの神経がちゃんと機能しているか

反応しているかを測定する機械なのである。

 

実際にどうやるかと言えば、指先に電極を貼り付けて

最初は手首辺りにもう一方の電極を当てて電気を一定間隔で流す。

神経が正常に働いていれば電極と電極の間の

神経が反応して当てられたところに電気を感じ

更に電圧を上げていくと反応した手なり指なりがビッビッと動くのだ。

感じとしては低周波治療機をイメージして貰えれば良いのだが

それよりかはちょいと痛い。

次に手首に当てた電極を肘の辺りに移動して

またビッビッと電気を送ってから手首から肘までの長さを測ると

神経が反応するかだけでなく神経の伝達速度も判ってしまう仕組みなのだ。

そうやって電極の位置を別の指に変えて測定し

次は足にと言う具合に検査を進めて行くのだが

手がビクビク動くのと違って足が意識もしないのに

ガクッガクッと勝手に動くのは裸足の足から伸びる配線を見れば

なおさらに「ああぁ操られてるう」的な感覚なのである。

 

勿論こんな感じは初めてなのだけれども

何だかこんなイメージを知っている気がして

操られている足をグアッグアッと動かしながら(動かされながら)
思い出して見れば

嗚呼、思い出した。

牛だ、畜産の人工受精で牛の精子を採取する時に

牛の下半身に電極を当てて、その気が無い牛から精液を絞り出すあれだ。

電極に繋がれた牛は雄としての威信を見せる事も無く

不本意に採取される刹那、「んむおー」と哭くのである。

んむうおおぉォ

なんだかんだ20061202() 919

何をか言わんやである。

私が、ああ言えばこう言う奴なのは私の知人は

皆知っているのだが知らない人は勿論知らない訳で

いきなりその洗礼を受けると余りの理屈っぽさに

二の句が告げ無くなって訳の解らない内に

話が終わってしまうなんてことがよく有るのだが

持論を繰り広げ倒し、自説を押し通し喋り続ける余り

本当に自分が聞きたかった事を聞くのも忘れ

自分の掘った穴にズッポリとハマり込んで何も得られないままに

「またやってしまったぜい」と苦笑いをするのが

いつものパターンみたいになっているのである。

今日は病院専属の栄養士さんによる栄養指導の日だったのだが

先日紹介して貰い、求めた本を元に自分で調べ

書きとめたノートと勝手にやった勉強の内容確認をしてもらうだけになってしまい

それでも性格の優しい若い栄養士さんは嫌な顔ひとつせず

私の調べた内容をちゃんとチェックしてくれたのである。
それで終わればまあ失礼ながらも世間にもある話なのだが

事もあろうに栄養士さんに自分が入院中に書いて置いた

調理のポイントと料理のレシピを押し付ける始末。

大事にしますと丁寧にしまってはくれたが役には立たねえだろうなあ。
う〜ん、すまねえこってす

Fizer assencia Brio20061203() 923

新兵器なのだ。私の病気diabetesは普段の指数がとても大事で

病院で行う様な測定や投薬を常日頃自分で行う必要があり

病気の程度によって特殊な注射器を携帯したり

自分専用の測定器を所持したりするのである。

 

私の場合、日常の注射による投薬までは至らなかったが

「日々指数の測定はきちんとやって頂きたい」

従って「検査の測定器は持っていて頂きたい」と

「色んな種類があるので自分に合った物を選んで頂きたい」と

担当医の指示のもと早速紹介された薬局へと赴いたのである。
折角新しく求める物だし自分の体の為の物なのだから良いものを買おうと

出来れば最近私が入院している病院でも導入したばかりの

最新式の物を買おうと思っていたのだが

いざ目の前に数点の測定器を並べられると

根が機械好きなだけに色々と目移りして

どれも面白そうに思えてくるのである。

いきおい店の人は私の質問責めにあうはずだったのだが

目の前に並んでいる一つに目が止まり、他とは違うそいつの様子に質問を変えた。
「ここにSAMPLEって貼ってあるけど現物は今無いの?
「はい、この二日ほど急に求められる方が何人かいらっしゃいまして・・・」
知っている、この週末に退院していった何人かである。
「すぐに入荷する?」
「数日はかかるかと・・・」
ん〜困った、無いとなれば欲しくなるのが人の性

ましてや他人が持っているとなれば尚更欲しい。
商品は二つに絞られた、最新式の高級品か

無いものねだりのサンプルの入荷を待つか

しかし退院は間近に迫っている

別に一や日二日くらい数値の測定をしなくても死にはしないだろうが

退院後の療養生活をバッチリと楽しくスタートしたい私にとって(ナニを言ってるんだ?)

片手落ちは困る、どちらかを選ぶまでもなく在庫のある最新式を買う他はないのである。

ではあるのではあるがとほぼ諦めの心境で軽く

ほんの軽く抵抗を試み聞いて見た「このサンプルは売れない?」
「いえパッケージも開けてしまっていますし、お客様の説明にも使用しておりますので・・・」
そうだろうなあ売れる筈はないよなあ
「申し訳ないのですが15%引きでよろしければ・・・」
そうだろ・・・えっ?、えっ?

最新式の格好良さも新しい機械への楽しみも

一瞬にして彼方へと追いやってしまう魔法の言葉。
サービス、割引、値下げ、格安、魅惑の言葉の前に

少しみすぼらしく見えていたSAMPLEと貼られたケースが輝きだした。

世界で信頼のあるメーカーじゃないか、実績のある測定器じゃないか

購入層も広いに違いない、うんこれで良い、うんうんこれが良い、良いぢゃあないか。

値段ではない、冷静に考えればこっちの方が

断然良いに違いないと求めて病院へと戻る軽い足取り、ふんふんふん。
帰りに立ち寄ったナースステーションで開口一番「安かったあ」と
言ってしまった。       よいよい

御心配お掛け致しました20061206() 007

皆様にご心配をお掛け致しました病院生活も

四日の午後をもちまして無事退院と相成りました。

まあ初めての入院と言う事で色々と興味ある体験もさせて貰い

自分なりに非日常の暮らしを有意義には過ごせたのではありますが

一応人並みに辛さや心配事なんぞもありまして

それと自分との摺り合わせや自分の中へ取り込む事など

そして担当医・看護婦・看護師・婦長・検査技師・ヘルパー・栄養士・医療事務職員・警備員とは

吾身を患者と言う立場に置く事で見る事の出来た側面があり

また患者同士でも病状と生活との絡み

症状や病気へのいきさつなどを会話する内に理解できる内面

そんな事を精神的に消化をするのにはもう少し時間も掛かるのだろうと思います。

この短いとも長いとも言える入院生活で見聞きし感じた事を

語ろうと思えばおそらく際限なく語り続ける事は出来るのでしょうが

空になったさっきまでの自分の生活空間を振り返って

しばらくはブログに書いた日々の事意外は自分の中に

きちんと納まるまで寝かせておかなければいけないのだと理解しました。

会計で清算を済ませ、フラリと外に出て毎日の散歩の様に歩く

足を進める一歩ごとに、家へ近づく自分を感じます。

リビングの自分の椅子に座り、病院から持ち帰った荷物と

気持ちと病気をそこいらにほったらかしてしばらくの時間を過ごしてから

自分の小さなお祝いをしたのでありました。

 

夕餉とんとん20061207() 1419

久し振りに過ごす自宅はやはり居心地の良いもので

退院後の体調を整えるための休みの間の夕食からは自分で作れる。
いやあ実に良いものである、自分の好きなものを作れるのは。

冷蔵庫の中を確認してからいそいそと買物に出かけ

久し振りの台所に立つ。

包丁を研ぎなおし自分で使う調味料を整えて食材をだす。

嗚呼美味い、自分の好みの味付けが一番ヨロシイ

本来ならここで軽く一献といきたいのだが

これはしばらくお預けにしておく(エライなあ)

なかなかに満足をして明日のメニューなんぞを考えつつ思うのである
「仕事に行きたくないなあ」今夜から仕事である。     やれやれ


糖尿病でお気楽に1

たぶん長いシリーズになる(かもしれない)のだが
お久しぶりに血糖値が、ドカーンと上がっちゃたんで
緊急0キロカロリー生活…わはわは

緊急入院・20キロ減量〜現在
そんなんで6年前のブログを引っ張り出して
http://yaplog.jp/gandama/
まずは、呼んで頂こうかなと
次回から退院その後

大概、人生塞翁が馬なつもりだったんだけどなあ
20061121() 111
まあ、一般的にはエライ事になったと言うべきなんだろう、緊急入院である。
誰がって?私である。驚いたかね、驚くだろうなあうんうん
細かい性格と大胆な性分、勢いと体力だけでゴリ押しに生きてきたように

勘違いされ易い私に鬼の霍乱なんざあ似合ってねえってか?

これでも幼少の砌には虚弱体質でアレルギー持ちだったんだぞ

ってナニを言ってるんだ私は

確かに具合は悪かったのだ、半月ほど前から何となく体調がすぐれなくて

それでも余りに過密なスケジュールの中で誤魔化し誤魔化しやってきたのだが

改善の兆しも見えず、一日だけ休んで検査をして貰ってその足でまた出張へ

昨日やっとの事で結果を聞きに行ってオッタマビックリ!顔馴染みの医者が言うには

「ウチでは扱い切れないから紹介状を書くのでそっちで治療してくれ」とのこと。
昼間の用事を済ませ、紹介された病院でムーミンパパ似の内科医の言うには

「かなりマズイ状態ですよぉ」と、それに答えて今後の仕事の事を話し出そうとしたら

切り返すようにムーミンパパ似の内科医(シツコイね)がこうのたまわったのである。
「仕事をどうこう言ってるレベルじゃないんですよ、いつ昏倒してもおかしくない状態なのですよ」と
ようやく私にも事態が飲み込みかけてきたのである

「仕事をどうこう言ってるレベルじゃなくて、いつ昏倒してもおかしくない状態なのだ」と
ムーミンパパ似の内科医(シツコイってば)に病気について二、三のレクチャーを受けて

仰向けになって手や足を金属棒でポコポコやられて後は院内をグルグルと

血を抜かれレントゲンを撮られ心電図を取られ、おしっこを紙コップに渡して入院の心得と準備の説明を受ける。
受ける?ん?嗚呼、あたしゃあ重症で緊急入院するのだなあと、もう一度状況を自分自身に確認しながらも何だか遠足に行く前の日のように不安とワクワクが妙に入り混じった感覚で入院の準備をしに一旦帰宅した次第であります。

と言う訳で次回からは入院顛末記にって入院していてどうやってブログを更新するんだあ?
まあ、何とかなるさあね             ホエホエ

すること20061122() 1031

朝は六時半に「良竿さあん、血液検査しますねぇ」と起こされた。

こっちが大変より夜勤明けのまま病人相手の勤務をする看護婦さんが可哀想なものだ。

腕に管を刺されて小さな筒に三本ほど採血。
その後、夕べ渡された便潜血検査用採便容器なるオモシロそうなモノをもってトイレへ。
わはわは、世の中には知らないものが結構あるものだと楽しく採取。

うん、皆様にも見せてあげよう、後学の為だ・・・・・・・わはわは

 

出張が入院並みに可哀想な事だと今更気付いたってか20061122()1024

いやあ困った、楽すぎる。

入院に違和感がなかったのも年がら年中出張に行っているからだろう。

実際用意と言っても、いつもの出張鞄から常備薬を抜いただけで

部屋が決まっていつもの出張先ホテルと同じ様にサイドボードに

必要なものを撒き散らしたら十分もしないで自分の空間の出来上がり。

違いと言えば部屋で煙草が吸えない(割に本数が減ってない気がするなあ)事くらい。

血を抜いたりなんてのは、お委せ状態でやってくれるし

ご飯も褒めるまではいかないがそんなに悪くなかった。

みんなから「仕事の事は忘れてのんびりして下さい」なんぞと言われるんだが

生憎仕事から離れてまで(覚えちゃあいるが)仕事の事を気にする神経は

持ち合わせちゃあいねえ。あんまりに気楽なんでお天頭様に申し訳ない。
ん〜世界平和でも祈っておくかぁ

20061122() 1018分)

病院のベッドで気がついたら隣のベッドにはあんたがいた
1970
年代に岡林信康が歌った歌詞を頭の中でリフレインさせながら

消灯した病室を抜けて屋上のベンチに腰かけ煙草に灯をつける。
中学生の頃、ひっそりと家を抜け出し陸橋の上から流れる

深夜のヘッドライトを眺めていた時のような決して嫌ではない浮遊感。
二本目の煙草に火を灯けた時、離れた屋上のドアを開けてまた一人やって来た。
彼か彼女かの人影が去る。もう少しだけ肌寒く甘い空気に寄り添い病室に戻ろう。

今夜は雨なんで出られないんだろうなあ20061123() 855

とまあ夜は九時に消灯される訳で、静かな夜なんてものは

普段はお金を払って何処かへでも行かなければ得られ無いのが都会の悲しさ。

それがこんなきっかけで突然手に入るなんてのは実にオモシロ可笑しいモノ。

静かな夜と言うのは人に何かモノ想わせるもので

人の気配が消えた頃を見計らって昨日見つけておいた屋上のベンチで

一人時間を過ごすのが日課になるかも知れないと思う訳であります。

画して今夜も屋上のベンチで思索に耽ろうとしつつ我が深き

空想の波に揺らめき漂う姿を記録に残すべくカメラをセット

したまでは良かったのだけれど、数枚撮ったところでちょいと寒さが身に染みて

早々に退散してきたところが実に私らしくて……もう

 

脱出なるかっ!           20061123() 849

入院二日目を迎えて検査なんぞも色々とされて

何と言うかいよいよ病人なんだなあと実感する訳でありますが

まあ私なんぞのチョコザイなレベルの症状では「元気で良いねえ」などと

中学生のカツアゲ並に無茶な事を言われて意味もなく

申し訳御座いませんな立場になるのが内科病棟と言うものの様で

彼等の中には如何に医者、看護師、警備員を上手く誤魔化し

敷地内から脱出するか、はたまた禁止された食べ物を

内緒で食べてもイケナイ数値が上がらないかを競い合うのを

日課としている人も居るので御座います。

そんな中、私がちょいと家に取りに帰らなければいけないものがあって

普通に看護婦さんに声を掛け、警備員にも断って用事を済ませて戻って来たところ

件の誤魔化し氏が私を捕まえてレクチャーを始めるのでありました。

「こうすれば看護婦に見つからずに」「ああやれば警備員に止められずに

云々とおっしゃるのですが、私は普通にやれば何の問題もなく出来る事を

わざわざややこしくする事も無かろうと思いつつも聴いている内に

何だか小学校時代に秘密基地の合言葉や地図を本気で語っていたのを

彷彿とさせるニュアンスに楽しくなり、自分のベッドに戻って早速院内を

歩いたりちょっとした買い物をする時に持つポーチに自宅の

鍵やら小銭入れやらも入れて【脱走セット】と名付けたのである。

出来上がれば勿論試さなければ意味が無い。

早速ポーチを小脇に携え、わざと看護婦さんの目の前を通り

「ちょっと下に行ってきますねぇ」と言いつつ警備員の横も何気なく通り喫煙所に到着したのである。
ふは、ふはは このポーチが脱走セットとはよもや気付くまい、私の勝ちだぁ
と実に満足したのは言うまでもない。

当然普通に手続きしたり声を掛けて出かけた方が楽なんでそうしてるけどね

 

損得とは言わないけど楽しまなくては損な訳で20061124() 1028

話は前後するが入院前日、折角の入院に何も用意しないのは

遠足の前におやつを買いに行かない様なもので矢張り寂しい。

と言う訳で入院記念に(何のだ!?)箸と箸箱、ベッドサイドに置くカップを求めた。

箸は大体の見当を付けていたのだが、いざ選ぶとなると中々決まらない。

以前自分で漆の箸を作った際に随分苦労した事もあり

最近求めた小浜塗りの箸も気に入っていて知らない内にこだわりが出来ていたようだ。

しかし買い物好きの私としては一旦買おうと思ったものを

買わずに置くのは些か業腹でもあり、覗いた店を隈無く探す。

 

そうしている内に無垢竹の箸箱も見つかり

大振りの私の趣味に合う焼物の碗(グラス)にも出会った。

と、探せば見つかるもので箸を並べてあるコーナーから離れた

碗の陳列棚の更に奥に並べてあったのがこれである。

四天王寺の祭などで出ている白南天や鉄木のまじない箸 にもある様な

昔からある形で余計な装飾もないし腰もしっかりとしている。
いやあ満足な買い物である、しかも値段を聞いてみんなも驚きなさい、千円でお釣りである。
新しい玩具(日用品)を手に入れた子供(あくまでも46歳の中年には違いないが)

は食事の度ごとに少しニンマリしてしまうのだ。

検査たっぷり20061125() 929

まあ当然なのである。病気で入院したのだからしっかりと検査される訳で

自分の体の中を赤の他人が色々と覗き回ってくれるのは

何か不思議面白恥かし嬉しい感じで、それでも自分の知らない自分の事を

見つけて貰うのは中々に楽しい状況だなあなどと忙しい担当の

お医者さんを捕まえては勝手な質問をしたりしつつ

ついでに写真なんかも撮らせて貰ったりしてしまうのであります。(長げえ文章だなあ)

他の患者さん達がおっしゃる「検査検査で嫌になる」とか「ご飯が満足できない」

なんぞの意見もまあよくある話なんで多少は覚悟もしていたのではあるけれど
どうも私には当てはまらないらしい。

もしかしたら私には悲観するとか我が身を案じると言う感覚が少し足りないのかも知れない。
あ〜そこの君、賛同するんぢゃないぞ

 

猿の手と言う話を御存じだろうか?20061126() 949

或る日、ふとしたきっかけで手にした古い干した猿の手のアクセサリー。

呪いの掛けられたそれは三つの願いを叶えてくれると言う。
一つ目の願いはすぐに叶えられたが、それは身内に起こった不幸の結果でもあった。
二つ目の願いも叶えられはしたが、やはり同じ事。
猿の手の呪いは、それを手にした者が願う以上の不幸を糧に

願いを叶えていたのだ。主人公は猿の手に向かって三つ目の願いを……

余り忙しさに「入院してでも良いから休ませてくれぇ」と

「今年は人間ドックで全身隈無く診て貰うんだぁ」と
「いくら何でも太り過ぎだあ、体重絞るぞー」と
確かに私は先日まで叶わぬ(出来ない)望みと知りつつ吠えたててはいた。
しかし或る日、突然、唐突に思いも因らない方向から三つの願いは叶えられ

そして私の体は○○病、○○症、○○○の三つの名前が付いた。
まあ身内にも他人様にも不幸の迷惑を掛けなくて良かったと思いつつ。
余りの偶然の重なりに「何処かで猿の手にでも出会ったかな?」とも思うのだが
三つの願い事を終えると何処とも無く消え去ると言う猿の手って、せめて見せてくれよぉ

 

ぷらんぷらん20061128() 919

有体に言えば毎日病院を抜け出しているのである。

私の場合は健康を維持すれば良い病気なので

(不思議と思われるかもしれないが実際そうなのである)

日がな一日ベッドで横になっていては益々病状が悪化してしまうのである。

いきおい用事の無い時は、ベッドから出てブラブラと歩き回り

散策のネタが尽きれば自分の巣(ベッド)へ帰る。

ベッドでメモを取ったり本を読んだりのネタが尽きれば

またそこいらをフラリフラリと漂うと言う具合で

検査や医師の診断がなければ動物園の熊とさして変わりはしないのである。

 

本来ならば外出許可を取らないと院外に出てはイケナイのだが

散歩が出来るくらいの患者が二軒隣のコンビニへ行くとか

三軒隣のドラッグストアに行くのまでは流石に病院も制止出来ないので

そこはまあ医師と看護婦と警備員と患者のコミュニケーションの上で

暗黙の了解が成立するのである。

 

このコミュニケーションによる暗黙の了解と言うのが重要で

私の場合入院患者として外出と言う禁を犯してはいるけれども

患者としては実に見上げた優等生で医師や看護婦の言う治療法はきちんと実行し

自分の病気についても良く勉強して検査や病状の報告も積極的にこなすのは勿論

時間にも正確で入院患者特有の不平不満も一切言わない。

病院としても人手不足の昨今、無断外泊をしたり

病状に悪い物を隠れて食べたりする患者の対応にただでさえ大変なのに

院内では食事が不味いだの注射が痛いだのと言う文句に

笑顔で応えなければならず、私の様な患者は手が掛らないぶん

多少自由な事をしても咎められる事はないのである。

嘘ではない、今では出掛ける前にナースステーションに

ちょっと顔を出せば向こうから「どこかお出かけですかぁ」と聞いてくれるのだ。

行き先と言ってもあくまで片道八分の家までの事。

用事を済まし、ブログを更新し、風呂に入って少しくつろぐ。

何より良いのは行き帰り、なんとなくホエホエしながらぷらんぷらん歩く。
ぷらんぷらん


指を切る

調理をしていて指を切る事がある
急いで水で洗って綺麗に拭き取り、防水の絆創膏を貼る
衛生…特に食中毒防止のための必要な処置
そんな事を教えて貰える環境に居て、身に付いたものが
色んな処で見た事も無いものを食べ続けたとしても
どこかで衛生に問題のある料理は、手を出さない事で
他人からは『よくそんなものを食べるなあ』と言われても
食あたりや食中毒の経験が、ほとんど無い

例えばこんなこと
調理中に指を切るのには、こんな場面がある
飾り切りで手を滑らせた時や魚介類をさばく時
それにも増して多いのが、下拵えなどで
同じ材料を数多く刻み続けている時
料理を初めて数年もすると包丁の使い方にも
少しは慣れ始め手際よく材料を刻める様になる
野菜などを刻む場合には、包丁が指の
1ミリも離れていないところを動いているのだが
慣れたと思い始めたばかりの者は
ついその危険を忘れてしまい
注意力不足や立ち位置のちょっとの違いから
ざっくりと指を切ってしまう事がある

よく研がれた包丁で指を切ると
切った瞬間に「あっ」と思ってもまだ血が出る事は無く
痛みすらもあまり感じない
何かとても危険な状態になったのだと指を押さえ
まな板から離れてそおっと押さえた手を開くときに
始めてどのくらいの怪我なのかを知り
「怪我をしました、処置してきます」と言って
怪我の洗浄・消毒・血が出ていれば止血して
傷口がふさがるまでは、薄いゴム手袋をはめて仕事をする
持ち場に戻って包丁を流しに置き
怪我をした周辺の食材を捨ててまな板を交換する

ある日、海老真薯に入れる蓮根を刻んでいる時に
いつもは何でもない作業でざっくりと指を切った
傷は、そんなに深くなかったのだが
すっぱり切れた指先の傷から血が一滴二滴
まな板の上に落ちてしまった
私は、持ち場を離れ前にもしたように処置をして
持ち場に戻って血で汚れていない食材を分けようとして
後ろから声が飛んだ
「そんなもの全部捨てんかあっ」
60センチのまな板の上に2センチくらいに落ちた血で
刻んだ蓮根は、すべて塵箱行きになり
包丁とまな板を熱湯消毒して残りの仕事を終えた

いつもなら「あほうっ、気ぃつけんか」で済むはずが
「ちょっと残っとけ」の言葉に次の仕事に遅れる連絡をして
待っている私に声をかけた上の者が話し始めた
「あんな、血も魚や肉から出たドリップ(にじみ出る液体)とおんなじや」「衛生的にも絶対したらアカンし、万が一食中毒でも出した時にそれがお前由来やったら取り返しつかへんねんぞ」
言葉が続く
「それにな食材は、それがエエか悪いかは関係無しにお前でも他の誰でもが選んで買うてきた物は同じものは絶対に無いねんで」「誰かが作って誰かが運んで誰かが並べて誰かが売って買うてきたものは、それしかないから大事にしようと思うたら怪我なんか絶対にしたらアカンねん」

正直に言ってあまり好きな先輩では無かった
それが自分より料理を大事にしている事が悔しかった
頭を下げる事が嫌いな天邪鬼な私が
頭を下げなければならない事が腹立たしかった
若い二束三文のどうでも良い自尊心に
震えながら頭を下げた事で私は少しだけ世界が広がった
それ以降、その先輩の仕事を見るようになり
その先輩が出来る事は、やれるようになろうとした

次の仕事が決まって厨房を離れる時には
その先輩から習った事、盗んで覚えた事で
やはり共に過ごした時間の思い出があり
今度は、本当に頭を下げさせて貰えた


胃拡張行進曲(閲覧注意?)

若い頃には、何かしらつるんで遊ぶ連中が居るもので
そういう連中となら若さゆえの馬鹿さが加速する
そんな話

ミナミの街をよく練り歩いた三人組
こちらの方は、また別の機会に書くとして
(
恐らく書けないだろうけれど…)
あるスポーツをしていた事で集るようになった四人組
私が、練習に行っていたところでは
伝統的に『ラーメンダッシュ』と言う実に下らない
実に体育会系の効果的なシゴキがあり
私たちがシゴかれる標的になった年に

練習場所の最寄りの駅から200mほど離れたラーメン屋
ある日先輩が『ラーメン奢ってやるから来い!』と言えば
噂に聞いていたラーメンダッシュの始まり
安テーブルに座った私たちの前に並ぶのは
脂たっぷりの大盛りラーメン

5分以内に食べろ』の命令に必死で食べる

食べ終わる頃を見計らって置かれる小銭

『ダッシュで駅前の自動販売機でたばこを買ってこい』

『遅れた奴は、もう一回ラーメンから』これは効く

練習で力の抜けていない腹筋と縮みきった胃に

流し込んだ大盛りラーメンでのダッシュに胃が悲鳴を上げる

毎年半分くらいの者は、走る途中に嘔吐して脱落

まあ無事帰りついても『よくやった』と

背中を二回ドンドンと叩かれて伸びた体のお腹に

一発拳が入って万事休すなのだけど

 

その年に耐えきった奴と私

後で話した時に「食べたラーメンがもったいないから」

と実に下らない理由で意気投合

なにか大食いしたい時は、よく連れ立った

何人前の大盛でも一人で食べれば同じ料金の中華料理屋

三倍焼き飯と二倍もやし炒めとか…確かそれで¥650

食べ放題焼き肉なども、よく行った

 

そんな食事会に時々来ていた奴の友人と私の友人

一度四人が揃った時に目指したのは

当時2時間¥3000で飲み放題、食べ放題のバイキング

難波の総合レジャービルのワンフロアーを占める巨大なエリアに

常時150種類と謳っていた宣伝にたがわず並ぶ料理の数々

四人の中で最も小柄だった私は、見たかったのだ

こいつらが暴れ狂って食べる姿を

 

テーブルに着いた四人は、持ってくる料理と分担を作戦会議

「飲み物は、ビールで統一な」「とりあえずワンケースやな」

「あんかけ系は、ペースが落ちるから後回し」

一回目は、ローストビーフ・エビのカクテルソース・焼き飯&唐揚げ・ビール

それぞれトレーごと持ってくる

止められたら「10分で食べ切る」と言って振り切る

1〜2分後に集合、三つのトレーとビールワンケース

15分もしない間に完食、ビール残り14

10人前くらい料理の乗っていたトレーを三つ重ねてゲラゲラ笑う

大笑いの後で四人に火がついた

一回目のパターンでやれば時間内に4セット同じ事が出来る

 

四人の気持ちが一つになって、さっきよりもスムーズに事が進む

もう店のスタッフも何も言わない

チンジャオロースー・子牛のポトフ・お造り・ハンバーグ

心なしか最初よりも食べるペースが上がっているような気がする

そして三度目に持ってきたトレーで私のペースが少し落ちた

それでも1時間ちょっとしか時間はたっておらず

私は、4セット目をゆっくりと食べて終わるつもりでいたのだが

その時に一人が言った「このペースなら5回イケるな」

顔を見合す私ともう一人の向こうで、その言葉に頷くもう一人

 

私たちは、自分の食べる限界を知っていた

全員が、自分の胃にもう何もはいらないところまで詰め込んだ経験を

何度となくしてきている

4セット目で私ともう一人は、ビールをウィスキーに変え

チーズやらスモークサーモンをつまみ

あとの二人のそれでも「仕上げだぁ!」と

パスタやピザを食べている姿を眺めていた

 

喫煙者である三人は、時間の間に煙草も吸わず

甘いもの好きだった奴がケーキも食べずに10分前に饗宴は、終わる

私たちのテーブルの横には、食器回収用のワゴンがおかれたままになっていたし

「取った料理を残された場合、云々」の注意書きをあざ笑うかのように

パセリ一つ残さないた皿やトレーが積み上げられていた

10分を残し店を後にした私に同じ練習に通う連れが聞いた

「お前、いま駅に煙草買いに行けと言われたらどうする?」

続けて奴は「今なら俺は、先輩を殴る」と

私は、吹き出し後の話の分からない二人も笑い出した

可笑しい、笑ったくらいでもどしそうになるほど一杯の

お腹に詰め込んだものがまた可笑しい

お互いの顔を見ないようにしばらく離れて笑いが収まってから

 

行きつけのバーのカウンタに収まった私たちは

それぞれの注文したお酒に口をつけてから

全員で同じようにグラスを置いて笑いをこらえた

こらえた笑いがおかしさを呼んで笑いが止まらない

四人は、グラスに口をつけた時に同時に分かったのだ

グラス一杯の水分も入らない自分たちの胃に


玉子丼・阪神淡路大震災と呼ばれた頃

来週の火曜日は、17日
17年前の未明にに起きた大きな地震の日
大阪にあった私の家は、棚の物が落ちたくらいで
被害は無く、一日を情報の収集に努めたが
当時していた仕事の神戸方面からの連絡が
当日も翌日も皆無でそれが、とてつもなく
大変なことである事に気付き始めていた

それから色んな事があった
被災地に向かおうと乗った車が
20時間運転しても兵庫県にさえたどり着けなかった事
ようやく連絡の取れた友人が「骨折くらいなら」と
治療を後回しにされるほどの惨状であった事
バスに折りたたみ自転車を担ぎこんで回った
メーカーと連携して自動販売機の飲料を出して配った
大阪から運べない水を中国道経由で三田の方から
運んだり、大阪港や岸和田からも個人の船で
色んなものを運んでくれる人たちの荷物も受け取った
みんなが、出来る限りの事をしていた
被害のほとんど無かった大阪と言う都市が
近くにあった事も大きかっただろう

復興と言うには、まだ目の前の片付けや
救出に追われていた頃に
兵庫南部地震は、阪神淡路大震災と呼ばれるようになり
私は、とある店でよく酒盛りをしていた
被災地の真ん中にある店のオーナーは
電話で自宅から店に行けない事を告げ
店にあるお茶やジュースをスタッフに配るように
後の物も店に住んでいる主任に任せるから
自由に使うようにと伝えてくれと伝言をもらった

店の主任と集まれるスタッフで手分けして
水やお茶を分配して缶詰やお菓子も近隣に配って
店には、かなりの量と間きりの必要な缶詰が残り
そして酒宴が始まった
復興の手伝いや片付けが終わると私は
よくその店に泊りに行かせてもらい
夜な夜な店の片付けをする主任と
行くところのない若いスタッフで酒を飲む
誰が誰でもない不思議な日々

そんなある日、灘の川沿いに数件立ち始めたバラックに
『ご飯あります・飲み物は、自分で用意して下さい』と書いた紙の葉ってある一軒が目に付いた
近づいてみると張り紙の横にもう一枚
同じ様な紙で『・・食堂』と書いてある
入口から覗きこむと、私より10歳くらい上のお母さんが
こちらを向いて声をかけてきた
「玉子丼と鮭の焼いたのどっちにする?」
怪訝な顔の私に重ねて
「今日は、あと五つしかないから早よしいや」
「いや僕は、復興の手伝いにきただけやから…」
「アカン、ここに来たら食べていかなアカンねんで。玉子丼作るから座っといて」と
バラックの奥のカセットコンロで手際良く
玉子丼を作って私の前に置いた
コカコーラのベンチとばらばらの椅子に
会議用の長机が置いてあるバラックの中で
お母さんは、私の前に座り話し出した

「アンタ大阪から来てくれたんかありがとうなあ、仕事もあるやろに」「このベンチと机、拾ってきたんよ」
二つ三つ返事をしながら食べ終わり
お金を払おうとしてお母さんが断る
「まだお金は、ええわ。この神戸でみんながお金を稼げる様になったら、その時もらうから」
「アンタらがな大阪で普通に暮らしていてくれたら、おばちゃんらもなんか大丈夫な気がするから頑張ってや」
「今はな、何でもええから作って人に食べて貰ってんと自分が無くなりそうやからやってるだけやねん」
「こんどもこっち来たら絶対においでよ、なんか絶対に食べて行きよ」
色んな事があった
それからもいろんな事に出会い、巻き込まれた
二度ほど同じバラックも訪ね、葱や干物と水も持って行った

本格的に復興が始まり、日差しも少し暖かくなった頃に
バラックを訪ねた私に、お母さんが言った
「ここにな電車がちゃんと走るようになったら私、いっぺん田舎に引っ越すわ」
「また、出てきて店できるかどうかわからへんけどな」
ちょうど今日の様な、空気の冷たい日差しの柔らかな日


命懸けのポテチ電撃大作戦

若い時と言うのは、得てしてそう言うものだ

何者かになりたい自分の経験の無さに気付かないあまり

自分自身に「ねばならない」を山盛りくっつけて

ガチガチの石頭になってしまった自分の視野の狭さから

とんでもない方向に走り出し、或いは自分の中に潜り込んでしまう

 

初めてのビバーク()の寝袋から上半身だけを出して

携帯鍋のネチャついた美味くもないものを胃袋に押し込みながら

寒さと恐怖を独り言の愚痴に転嫁して私は、そこに居た

「好きで始めた山登りでもないのに」

「こんな寒さ、二度とごめんやからね」

単独登山である、この吹雪では近くに人の居るはずもない

自分で自分の首を絞めてしまった事に気づかない私は

命の危険までには、まだ距離があるにしても

普通に暮らしていれば絶対に陥らない状況に自分を連れていったのだ

()ビバーク:登山で天候の変化などで危険が生じた時にする最小限のキャンプ

 

私もその一人だった

父に連れられ5歳から山登りをさせられていた私は

自分のアイデンティティを無理矢理にそこにこじつけ

今井通子や上村直己の本を読み

「山に登るからには、より難易度の高い事に挑戦すべきだ」

「自分ひとりの力を自然に対して試して証明するべきなのだ」と

頼まれもしない、ありもしない崇高さに決意を固め

厳寒期の大雪渓に一人挑み、後悔と恐怖をそれでも

信じたくないために繰り返し不満のやりどころを探していたのだ

 

緊急用の食料は、二つ用意していて

一つは、歩きながらでも片手でも食べられるチーズとチョコレート

もう一つは、お湯が沸かせる状況での小さな包み

固形のコンソメとバターと砂糖とスキムミルク

それに小分けしたマッシュポテトの粉末

鍋一つでできて消化がよくて満腹感と熱量の確保できる温かいもの

換気に低く張ったテントの風下をちょっと開け

小さなコンロ、スベア123に火をつけて鍋に雪を入れ溶けるのを待って

用意したものを入れて沸騰したところでマッシュポテトを入れ混ぜる

火をかけて混ぜ過ぎたのも良くなかったのだろう

粘り気のある薄黄色のどろどろとした半液体は

目的には叶っていただろうが不味かった

 

夜半に聞いた短波ラジオで天気図を書き

翌日の登頂を諦めて下山した私は、しばらくその事も忘れ

アルバイトと学校、新しくできた彼女に時間を費やしていた

秋を前にした頃、彼女と行ったレストランで出てきたスープ

煮込んだ野菜のコンソメにクルトンの代わりにポテトチップが浮いて

私の心は、再びざわつきだす

「緊急用の食料を思いついてしまったからには、試すべきなのだ」

もしかすればそんな事の発端で人は、何かを達成するのかもしれない

若いゆえに固くなった頭は、若さゆえの馬鹿を繰り返す

 

翌年の同じ時期に同じルートをたどった私は

今度は、悪天候に見舞われる事なく順調に登山を終え

下山の途中に用意してきた新しい緊急用の食料の包みを開いた

湯を沸かしコンソメと砂糖と乾燥玉葱に人参

そして小さく砕いたビニールに入れたポテトチップを入れて混ぜる

さらに不味かった

 

若いが故にできる無茶が財産になる事を知るのは、ずっと後年の事

若いが故にしなくて良い無駄な事を知るのも同じ

ただ私は、それ以来高い山には登らず野を歩くようになった

父が、食べもしないインスタントラーメン一つをいつも

リュックの底に入れていた意味を理解するまでにしばらくかかった

 


喰うのが早い

とは、思っていなかった

従兄や伯父さんたちの中で少し早いめくらい

ただ、中学生になって外食するようになると気付きだす

女性よりも男性の方が、食べるのが早いとしか思っていなかったのが

女性と同じくらいの速さで食事をする男性の居る事に

みんなでご飯を食べていて身内がいなければ

いつも私が一番早く食べ終わる事に

そう父方の男性のすべてが、職場や学校で一番の早食い

その中で私は、結構(いちばんくらいに)食べるのが早かったのだ

 

こんな事を覚えている

夕食時に鰻と煮物のおかずで父が食べ始めてから

「汁は、無いの?」と母に聞く

「ちょっと待ってね」と母が答え

すぐにお澄ましの椀を持ってきた時に父は、食べ終わり

「鰻の汁…タレが無かったなあ」と

普通の食事であれば5分は、かかることはない

母が一緒に食卓に着くのは、お鍋の時くらい

父と一緒に食卓についていた私も父が家を出てからは

母と一緒に食べるようになったが

食事の後も漬物やなにかをつまみながら母と

話などをしていたので違和感はなかった

 

ある時、母に聞いた

「どうしてお父さんと一緒に食べなかったの?」

「結婚してすぐに一緒に食べてもあっという間にいなくなってしまっていたもの」

山に行く・日曜の夕方のお笑いを見る・ニュースを見る以外

書きものか調べものか図面を引いている姿しかなかった

父を思い出してそれもそうだと納得

 

以来私は、食事の仕方を二つに分けるようになった

自分のペースで食べる時と誰かと一緒に食べる時

誰かと一緒のときは、倍くらいの時間をかける

それでも大抵は一番早いが、自分のペースで食べている限り

食事の時間が取れない事は、まず無かった

熱くさえなければカレーや丼物なら一分は、かからない

TVで、視聴者から選ばれたかぐや姫を巡って

早食いをして告白の権利をとるというコーナーがあったが

それに出ていた人たちならば、特に食べるのが早いとは思わなかった

後になってフードファイターなる者が、世に出た時に

始めて小林と白田と言う二人だけは、違ったが

 

時間制限のバイキングとか皆で囲む鍋や焼き肉で

食べ足りなかった事は、もちろん無い

私は、食べるのが早かっただけで大食いではなかったが

運動をしていた関係で若い時は、それなりに量も食べていて

若いイコールお金が無いの図式は、当時よくあった

制限時間内で食べ切れば無料の店を良く探すようになる

 

大盛ラーメン2杯10分以内

カレー1キロ10分以内

人の食べられる量でさえあれば、10分という時間は充分だった

ただあのチェーン店の餃子10人前以外は

専門学校の帰りに電車から見えるチェーン店に赴いた私は

店の人に餃子10人前の趣旨を伝え

そして予想に反する状況を見る

一気に焼きあげられて並べられた10人前の餃子

最初に熱くて5分過ぎる頃には冷えて飲み込みにくくなる

11分40秒

30分以内には充分だったが、自分に納得がいかない

二回目は、前日の夜から食事を抜いて夕方にチャレンジ

7分台、そしてコツをつかんで三回目に支店記録の4分台

顔馴染みになった店長さんに

「もうチャレンジしなくても来たら好きなだけ餃子食べさせてあげるからやらなくて良いよ」

と言われたが、三枚並んだ記録の紙を増やしたくて

最高記録のペースで食べて5分台に最後の一個を食べる

次は、6分台・8分台…

4から11までの記録の紙をカウンター上に貼ってもらって

しばらくは、餃子には近づかなかった

 

あれは、イケナイ

翌日の夜まで自分が匂う


餅は、金持ちに焼かせる(元旦風景)

元旦の朝は、母の淹れるお煎茶と
それに添えた小梅の茶福で始まる
この日は、湯ざましで良いお煎茶
子供の口にも熱くなく甘いお茶を
二服三服と楽しむ

良い蜜柑のような形の深い青緑の釉薬の火鉢
南部鉄瓶を下ろして私の右手に新聞紙
左手に切餅の入った笊を置くと母は、台所に立つ
祖母と対坐して餅を焼いてゆくのだが
焦がさぬよう薄っすらと焼き目が付いて
均等に膨らますのが流儀

冬になるとこの火鉢で色んなものを焼く
焦がさぬように煎餅を焼く
蜜柑を黒くなるまで焼き
芭蕉煎餅は大きくするのが難しい
小さく切った魚肉ソーセージを串に刺して
じっくりと焼くのは、私のおやつ
紙に蜜柑の果汁で描いた絵を炙っての
炙り出しもこの火鉢

二つ三つ焼けた頃に砂糖を入れた醤油と
焼き海苔を母が持ってきて磯辺焼き
お膳に三段重と惣菜の鉢や小皿
三宝に朱塗りの瓢が置かれるのを見計らって
家族分の餅を焼く

煎餅は、早くひっくり返し続けないと
焦げて食べられなくなる
お餅は、じっくり焼かないと膨らまないから
ゆっくりと焼く
だから煎餅は、貧乏人に
お餅は、金持ちに焼かせろと言うんだと
毎年決まって祖母は、私に言いながら餅を焼く

新聞紙に乗せた焼けた餅を持って
母が、澄ましのお雑煮に餅を入れたら
祝い膳の始まり
丸餅は、祖母の作る小正月の白味噌仕立ての雑煮
学校帰りの楽しみのこの雑煮で松の内を過ぎ
正月は、日常へと戻ってゆく


幼き恋は、鶏の頭と共に

祭りは、その華やかさではなく裏に潜む魑魅魍魎の闇が好きだ
日常にはない屋台や境内の賑やかさの対比の向こうの裏の世界
友達の目を盗んで屋台の間から暗い虚空に進み出る
アベックやヒソヒソ話している人達には目もくれない
闇夜の夜に目を光らせている猫にも注意する
生垣を抜けた向こうに裸電球と投光器の光、闇の光

「おっちゃん、はじまった?」
「いっこ終わったとこや、ここで見とき」
角切り頭の男は、小指と薬指のかけた手で小学生の私を横に立たせた
両手を広げたより大きい藁で作った柵の円の周りを
小柄な男が、メモを持って周りを取り囲む男たちと話して回り
お金がやり取りされると左右から竹で編んだ籠がやってくる
籠から出された軍鶏は、金属製の蹴爪がつけられ合図と共に柵に放り込まれる

闘鶏は、大抵すぐに決着がつく
何度か飛びあがりぶつかり合って片方の蹴爪が相手をとらえると終わる
同じことが繰り返され、王将戦が終わり男たちの輪が崩れた時に
「・・ちゃん」角切りの声が私を呼ぶ
「手伝ってくれるか」
火にかけられたドラム缶に湯が張られ、細引きの紐と鉈が用意される
負けた軍鶏と別に用意された鶏を締めて客に振る舞うのだ

祭りも終わりに近づき明るいところに居た人達も三々五々集まってくる
こちらの世界と一線を画すように遠巻きに集まる人の中に
同級生たちの姿も数名見つけたが気付かぬふりで作業にかかる
“あの子も居た“
鶏の羽元をつかんで鉈で首を落とし細引きで足を縛って逆さに吊るす
“あの子も居た“
五羽を締めて最初に締めた奴からドラム缶の湯に放り込んで任務完了
別のひとが締めた鶏も放り込まれ、熱湯と力の要る羽根むしりは大人の仕事

闇の『ケ』の仕事を表の人に見せる『ハレ』の舞台
無事帰還した英雄の心持で悲鳴と私の名を呼ぶのが聞こえた方を見る
そこには、いつも遊ぶ同級生が一人立っていて
逃げ帰った友達と共に”あの子”の姿も無くて
ヒーローになるはずだった私は、立ちすくみ祭りの終わった
まばらな人の中に“あの子”の姿を探していた

焼いた軍鶏の匂いと鶏の水炊きの用意が出来、裏と表の人が入り混じる
その夜は、好物の水炊きを口にする事もなく
ただやたらに固い焼いた軍鶏の肉をいつまでも噛み続けていた


冷麺オヤジども

「おう、よっちゃん来てたか」
身内しか呼ばない子供の時の私の呼び名で
突然に個室の襖が開いて顔が、にゅっと出る
「うん、さっき」「そうか」
わずか2〜3秒ほどのやり取りで顔が、引っ込む
この老舗の焼肉店では、こう言う事が度々あった
何かと言うと集まりたがる母方の一族のお決まりの店

末っ子の子供として生まれた私は、私の生まれる前に
亡くなった母方の祖父母を知らないが、さきの戦争で
大陸に役人として赴任していた祖父の一家は
やたらと面倒見の良かったと言う祖母のお陰で
当時その家に出入りしていた学生が、それぞれ
母方の姉二人と結婚し、私の父もその一人の部下であった
一族と日本で知り合った私の父以外の叔母たちの配偶者は
母の6人兄弟と一緒に学生時代を過ごしているために
とても仲が良く子供の私には母の兄弟が、6人ではなく
8人居るようにも思っていた

何を長々と書いているかと言えば、冷麺である
食べ盛りの学生であった叔父たちは、家族でなくても
下宿に帰らずに母の兄弟と同じように家に来て
夕食までの間に家の手伝いをしてくれていた
オモニの作る冷麺を満足するまで2杯も3杯も
食べていたのだと言う
そしてその味に一番近いのが、この店の冷麺らしい

後になって分かったのだが、何かと理由を付けて
この店に三々五々と集まってくる叔父たちは
てんで好き勝手に冷麺を注文する
一杯飲んでから注文する者、焼肉の間に注文する者
やって来ていきなり注文する叔父もいた
そして冷麺を食べた叔父たちは、活性化する

冷麺を食べたきっかけに若い頃の話に花が咲き
いつもそうであるように叔母たちは
「外で食べると面倒見なくて良いから楽ねえ」と
20数年前の大陸にあった家に今もいるかのように
悪ガキと化した叔父たちの冷麺を食べる姿を見て
これもまた話に花が咲くのである

大きな老舗であるにも関わらず
叔父たちの悪ガキに戻るアジトのような場所は
大人になった私にとってもやはり行きやすい場所となり
ちょいとご婦人とゆっくりと食事をする時には
ここの個室を使わせてもらう事も多かったが
伴う女性は、限られていて
親族に紹介しても良い女性と言うことになる

なにせ個室を借りていようとも突然に、にゅっと顔が出る
そして数日後には、叔母たちから
「どんな娘?」「どちらのお嬢さん?」と質問が来る
私にとっては、私の預かり知らない大陸の家に
冷麺をむさぼり喰う叔父たちの中に
彼女を連れてきたようなものである

その叔父たちも他界し叔母たちも出歩く事は無くなったが
店の目を通る時、店の前を通れば必ず叔父たちが言った
「よッちゃん、冷麺食べてゆくか?」が聞こえる気がする
個室の襖が、突然に開くような気が今もしている
叔父たちのSOUL FOODレンミョン(冷麺)を久し振りに
食べに行こうか